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コメントありがとうございます
投稿者:
管理人
投稿日:2006年 9月11日(月)21時53分53秒
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>チロタンさん
どうもはじめまして。
過分のお褒めのお言葉をいただきどうもありがとうございます。
ご期待に沿えるかは分かりませんが、早速僕の考えるところを書かせていただきます。
まず、1つ目の「ディベートは勝つためにやるべきだ」という主張について。
これについては、チロタンさんのおっしゃっている内容に共感するところがあります。勝利という結果が望ましさと符合すること、言い換えれば、マナーも含めて望ましいチームが勝てるような枠組を作っていくということが重要だと思います。
議論の内容については、ジャッジの講評がディベーターのあり方を大きく左右します。過去にもジャッジングに関する論考がいくつかある(例えばディベートフォーラム所収の文章『良いジャッジとはどうあるべきか』是澤2002など)のですが、ジャッジの質の向上がディベートの議論を向上させます。これは日記のほうでも書くのですが、ジャッジの質についてはもっとしっかり考えていく必要があるでしょう。僕も含めて、勉強不足のジャッジが多すぎる――これは、能力のないジャッジはいらないということではなく、もっと努力する必要があるだろうということです――という問題があると思います。議論を判断するジャッジという立場の人間が「あるべきディベートの姿」を考えずして、よいディベートがなされることはありません。
*紹介した文章は
http://www.debateforum.org/2002/2d08_koresawa.pdf
マナーの点についても、もっと重視されるべきです。それを勝敗に入れることは、純粋な競技ディベートとしての観点から行くと難しい(ディベート甲子園のルールでは、勝敗の理由をメリット・デメリットに限っているのでより難しい)のですが、日記でも書いているとおり、僕はマナーも含めて投票理由に考慮すべきだという立場です。
ただし、ジャッジがこのような判断で勝敗をつけるということは、ジャッジについても高度な判断が求められるということです。その意味でも、ジャッジングのあり方などを考える機会がもっと持たれる必要があります。
また、マナーに関して言えば、「負けないように」マナーを守るようにする…というような考え方になってしまうとすれば、それはあまり意味のないことだと思います。形式的に握手をするのではなく、ディベーターとして相手に敬意を払うためにそうするのでなければならないはずです。とすれば、マナーの問題について本当に重要なことは、ディベートを通じて私たちは議論のあり方を学ぶのだということを選手の皆さんに感じていただけるよう努力することだということになるでしょう。
若干話がそれましたが、「ディベートは勝つためにやるべきだ」という主題に戻らせていただきます。
上述のように、勝利という形式と実質の間にある乖離を埋めるということは重要だと思います。しかし、勝利はあくまで試合における目標であり、ディベートをやる目的ではないはずです。なぜディベートをやっているのか、と問われて「試合で勝つため」と答える人はいません(他の競技でもそうでしょう)。それはあくまで「楽しいから」だったり「勉強になるから」だったりするわけで、試合という舞台の上で勝ちを目指すことと、舞台の上に上がることの目的は別にあるわけです。
確かに、勝ちを目指さなければ面白くないし、そのような目標がないとよい議論もできません。ですが、極端な話、寝て起きたら優勝していた、と言われてもうれしさはないわけです。試合で勝ちを目指すことと、ディベートで何を目指すかということは、別の次元の話です。勝つことを越えて「いいディベートをしたい」という人がたくさん出てきてくれれば、ディベートはもっと楽しくなると思います。そして、ジャッジやスタッフの側も、それをきちんと受け止めてあげるように努力すべきです。
2つ目の「むしろディベート甲子園の競技者席に監督を配置した方がよい」というご意見については、僕は賛同できません。以下、理由です。
監督が前に出れば介入が減るという点については、介入的指導は試合前に行われることはほとんどなので、おそらくそのようなことはないでしょう。介入が功を奏さずに見苦しい(!)姿を見せてしまう人は今でもいますし。
レベルが上がるという点についても、僕は非常に懐疑的です。現に介入を受けていると思われるチームのレベルが高いとは思えませんし。
さらにいうなら、監督という形でチームを指導することのあり方もどうかと思います。僕は監督というと「こういう議論をやれ」といった指令を回すようなイメージがあるのですが、日記でも書いたようにそんなことは教育的でもなんでもないし、選手にとって退屈でなりません。
指導者はディベートのやり方を教えるのであって、何を喋るべきかを教えるのは指導者の仕事ではないはずです。だから、試合の場で選手にどうこういうべきではありません。
競技人口に関しては、学校の先生への理解をいただくというのは効果的だと思います。しかし、そのことと監督制度は別の話であって、生徒をダシに使って(!)自分を満足させる指導者がいくら増えても仕方ないわけです。学校の先生に理解をいただくという点で言えば、ディベートの魅力や、適切な指導方法を普及させるということしかないでしょう。
初心者への取り組みという点では、横に教えてくれる人がいるというのはやりやすいかもしれません。上級者と初心者が組んでディベートをやるというのは、有効な指導方法です(実際そういうことをしたこともあります)。
しかし、試合においてまでそのようなことをする必要は無いわけで、初心者に上手くディベートをやってもらえるような指導方法の部分と、目標とする試合のルールは別物です。
さらにいうなら、黙ったままいるという経験をすることも、結構重要なことなんじゃないかという気がします。逃げ道があると成長しないという部分があるのではないでしょうか。
以上、思うところを書かせていただきました(日記で再論する部分もあると思います)。
ディベートのあり方、指導のあり方といった部分については、ディベーターの中でもっと議論されるべきです。特に後者については、僕もよく分からないところが大きいのでチロタンさんも含めて、経験者の方々にご教示いただいて、考えてみたいと思っているところです。
それでは失礼します。
また何かございましたら書き込んでいただけると幸いです。
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