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私見への回答

 投稿者:管理人  投稿日:2006年 9月13日(水)01時11分41秒
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  >NAKO-Pさん

書き込みありがとうございます。
水曜日はいろいろあるので日記を書くのは木曜日になるかもしれません、と最初にお断りさせていただきます…。

では、書き込みについて僕の思うところを書かせていただきます。

1.よい議論云々に関して

僕が下で書いた内容は、介入的に指導してもいいことは何もないからそういうことはやめようという趣旨のものであって、NAKO-Pさんの意見とは何らの衝突もないように思います。
まずはそのことを確認させてください。原稿を作れば良い議論は回るかもしれない、ということを言いたいわけではありませんから。

その上で、原稿を作ってあげることの是非と、そのような慣行(以下ではこれが一部で存在していることを前提とします)が今後どのようになっていくかという点について見ていきます。

A)原稿を作ることの是非
原稿を作ることについて、少なくとも試合においてそのようなことをしても意味はないと思います。「原稿を越える能力」についても、それは自分で考えた議論を回す中ではじめて身につくのであって、与えられた議論を回すだけでは意味がないでしょう。立論は作ってあげるから反駁は自分たちで…といった一部介入方式でもおなじことです。なぜなら、ディベートにおける議論は全体が有機的に関連しているのであって、一部分を切り離して考えることはできないからです。

もっとも、指導方法として、原稿を与えるディベートが効果的である場面があるのかもしれません。いわゆるシナリオディベートが一定の効果を挙げているということは確かでしょう。ただ、それはあくまで予行演習であって、実際の試合でシナリオを読んでも仕方ないし、何よりそんなものは「試合」とは認められません。これは、ルールにおいて参加メンバーを制限したり外部との接触を禁止している趣旨からしても当然のことです。
(だから、僕は介入的指導を反則事由としてもいいと考えています。実際には証拠がない以上難しいとは思いますが、明文上禁止することが抑止的な効果を持つかもしれません)

*シナリオディベートについても、改良の余地があるのではないかと思っています。これはCoDA理事の久保さんがおっしゃっていたのですが、シナリオの一部(証拠資料など)を自分たちで選択して使わせるなどの、選択シナリオディベートという形を取ることで、より効果的にディベートに親しめるかもしれません。

なお、原稿を準備することで良い議論が回るかという点でいえば、指導者のディベートスキルが高ければそのようなことはありうるでしょう。少なくとも立論はそのまま読んでおしまいですし、反駁だってブリーフ化しておいてある程度使い方を仕込めば、そのまま勝ててしまうと思います(自分でいうのもなんですけど、昨年の炭素税論題であればJDAで準備した内容を完全に仕込んでしまえば母校は結構いい成績を残したと思います)。原稿を作ってもらっているチームが成功していないのは、それが徹底していないのと、そもそも原稿の作り手が能力不足(!)だったりするところにも理由があるでしょう。試合を聞いていても「どうせ仕込むならジャッジが感心するような議論を仕込めよ」とか思ったりしてしまいます(これは冗談です、念のため)。

ただ、僕が括弧つきで「良い議論」と書いているように、内容が立派だとしても、そんなものが良いのかといえばそれは違うでしょう。
また、議論を作ってもらっても、相手に合わせた回し方をしらなければ良い議論にはつながらない=原稿だけではダメ、というのもその通りです。ただ、上でも書いたように、上手い人が回し方まで仕込んでしまえば、残念ながら勝ててしまう――然るべき方法であれば会津高校にすら――と思います。だからこそ、ディベートで介入的指導をしてはならない。僕はそう考えます。

B)今後どうなっていくか
上で書いたように、原稿を作ってあげることが勝ちにつながってしまう(これは「良い」ことではないというのは既に述べたとおり)可能性があるのですが、それが今以上に拡大するかどうかは、正直分かりません。ただ、なくなることはないだろうと思います。

なぜなら、原稿を作る動機は、教育的かどうかということとは別次元のところにあると思われるからです。
既に述べているように、僕の現状分析によれば、原稿を作ってもらっているチームは必ずしもよい結果を残していません。中学についても、「教員が作成した立論が強くて相手が勝てない」という事実は僕の認識する限り存在していません。それは、チームを勝たせてあげられるような能力を持ったディベーターは、介入的指導の愚かしさに気づいているからではないかと思います。

では、なぜ原稿を作る指導者がいるのか。それは日記でも書いたように、自分のためだったりするのではないかと思うのです。この点では、学校の先生より学校のOBOGが後輩の議論に介入的になっているところがあるのではないでしょうか。要するに、後輩の勝ちを通じて自分が達成感を得るというものです(子どもに過度の期待をする親、といったところですか)。

このような動機で指導をしている人は、会津高校の素晴らしい試合を見ても、NAKO-Pさんの期待するようなことは感じないと思います。逆に、「自分もああいう試合を後輩にさせてあげたい」とか思う可能性だってあります。現に、僕は決勝戦の感想として書いたように「確かに会津はよい議論をしていたけど、改良すればもっと上をいけるな」と思ったわけですから。

ただ、会津高校のように自律的に取り組みを見せたチームの存在が、別の方向で介入的指導を押し留める効果を持っていることは確かでしょう。それはNAKO-Pさんのいうような理由です。良い試合を見て、自分たちもそうありたいと思えれば、ディベーターは「自分で」頑張ろうとするはずです。
とすれば、私たちにできることは、それを後押ししてあげること(決して介入ではなく!)と、そんなディベーターの気持ちを削ぐような介入的行為を許さないことではないでしょうか。つまり、スタッフ・指導者としての倫理を育てるということです。ここでの議論がそのような動きにつながれば、僕が問題提起した意味は十二分に達せられたと思っています。

2.地区の取り組みについて

これについても、NAKO-Pさんのおっしゃる「東北地区の取り組み」と、「地区意識の是非」という2点に分けて書きます。

A)東北地区の取り組み
これについては、先日も書いたように、素晴らしい取り組みであると感心させられています。実際に東北地区の大会にうかがわせていただいた時にも、東北のディベーターは幸せだなぁと実感させていただきました。これで参加校がもっと増えれば、東北地区はディベートパラダイス(?)になると思います(余談ですが、東北大ESSは既にディベートパラダイスのようです)。

B)地区意識の是非
僕が本当にいいたいことはこちらです。これは選手だけでなく、ディベートコミュニティ全体の問題として取り上げる必要があるからです。

地区対抗意識というのは、健全に働けばよい効果を発揮します。僕が現役時代のときは、証拠資料を交換し合ったり、たくさん練習試合をしたりして、地区内でライバルとして「一緒に」頑張ってきました(ちなみに、僕の全国大会はともに東海地区の高校に負けて終わりました)。そのことは今でもいい思い出です。

しかし、地区はあくまで「一緒に切磋琢磨する仲間」の一単位でしかなく、もっと上位の概念として「全国のディベーター」という集合を考えることができますし、ディベーターはそこに根っこを持たなければなりません。地区という存在は、別の地区を排斥するものであってはなりません。にもかかわらず、そのように考える人がいるように思われるのが残念だ、ということなのです。

それが現れている場面としてまず挙げられるのが、議論を隠す意識です。これは昔の話ですが、某支部で、地区大会に出てきた議論のラベルを掲示板に公開したら「情報を漏らすな」といったことでバッシングを浴びたチームがあったようです。そのほかにも「他の地区に議論をもらすな」ということはあるようですし、極論としては先日挙げた「他地区に練習試合に行くなんて…」といった妄言(!)もあります。

地区全体で協力するとか、一緒に頑張ってきた自分たちの地区を応援するということは、自然なことだし健全なことだと思います。しかし、そのような意識がディベーター全体という集団に求められる意識――ともに議論を高めあい、議論を通じて交流する――と矛盾するようであれば、それは偏狭的ナショナリズムにも似た、危険な思想といわざるをえません。僕はそのような地区意識を断固として拒否します。
*ただ、近年では様々な交流活動によってそれが緩和されつつあるのではないか…ということも確かに考えられます。これについては後述。

地区意識がよくない方向で出ているもう一つの場面は、スタッフの流動性が低いということです。自分の地区でしか手伝いをしない人が割といるという事実は、人材活用の点からも大きな損失です。もっとも、これは地区意識というより、地区の働きかけというところにあるのかもしれませんが。
何にせよ、全てのディベーターを心から応援する、という意識が大事です。その意味では、スタッフやジャッジとして大会にかかわるものは、特定の地区を応援するようなことは(少なくとも大会の中では)厳に慎むべきです。制度として出身地区のチームはジャッジしないということはありますが、大会期間中の振る舞いその他もディベーターに影響を与えているのだということを、スタッフやジャッジはもっと意識するべきです(とかいって僕も個人的に話したりすることはありますけど、最小限にとどめているつもりです)。

ここで、交流による悪しき対抗意識の解消という点について話を移します。
NAKO-Pさんのような取り組みは、生徒にとってとてもよいことだと思います。ディベートを通じて得られた仲間は、僕にとっても現在貴重な財産となっています。

ただ、ここで2点ほど指摘させていただくことがあります。これはNAKO-Pさんの取り組みではなく、交流という考え方・取り組みそのものに内在する問題です。

1点目に、ディベートにおける交流はあくまで「ディベートという競技を通じた交流」が主であるべきです。極端な話『ディベート大会に行ったら可愛い子がいたのでアドレス交換して仲良くなりました』なんてことは、交流と呼べるものではないだろう、ということです(まあ、個人的にはうらやましくもありますが……冗談です)。

僕は現役時代、他の地区の人々とはほとんど話しませんでした。レセプションでは食ってばかりだった(!)し、試合外で他地区の人と話した覚えも特にないです。しかし、それぞれの試合で対戦した相手のことはよく覚えています(今でも会うとその時の話をしたりします)し、議論を通じて彼らとかけがえのない絆を得られたと思っています。
はじめて他地区の名前をフローシートに書き込んだときの感動や、はじめて色紙をもらった時の喜び(その色紙を書いた人が弁論部の後輩として入ってくるサプライズ!)は、一生忘れることはないでしょう。僕の現役時代にはラバーズはありませんでしたが、彼らよりディベーターとの交流が乏しかったとは思いません(ラバーズを否定しているわけではないので念のため)。

ディベーターの交流って、本質的にはこういう部分にあるのではないでしょうか。だから、ディベーターがただ単に仲良くなることを「交流」と呼ぶのは、ちょっと違うのではないか。そう思うわけです。
別に現在のディベーターがそのような交流をしていない、と言いたいわけではありません。ただ、もっと「議論を通じた」交流が盛んになって初めて、偏狭な地区対抗意識を打破しうるつながりが形成されるのではないでしょうか。その意味では、現状の交流活動はまだ道半ば――今後の発展に期待したいところ――だと感じています。

2点目に、ディベーター間の交流が逆に障壁を作ってしまう可能性です。
これは日記で挙げた問題にも関係する、本質的な論点だと思っています。

ディベートコミュニティは、その規模の小ささから、相互に密接な関係を築き上げているところがあります。それは既存のディベート関係者にとっては心地よいものですが、反面新規参入者にとっては居心地の悪いものであるということを意識しなければなりません。
実際、新規参入者だった四日市高校ディベート部は、既存のチームとジャッジが仲良くしているのを見て、かなりの疎外感を感じました(きちんと僕たちにも指導してくれましたが)。また、全国大会にいけなかった年に交流会に行ったら全国の話ばかりをされて気分を害し、途中で消えた(!)こともありました。

交流によって特定の仲良し集団(語弊があるかもしれませんが)が形成されるとき、その集団が外部に対して排他的になってしまうことはよくあることです。
下でみゆきさんが挙げておられたような「初心者を笑う」ディベーターの存在も、自分たちと異質な存在に対する排除意識として捉えることができるでしょう。

この文脈でいえば、現在ディベート界の活性化に貢献しているディベートラバーズも、危険性を内包しているといえるかもしれません。というのも、彼らの構成員がほぼ全国出場メンバーであること、その交流会が全国大会でなされていること(そのくらいしか機会がないのでこれは仕方ないと言えばそうですが)を見ると、交流対象として想定されているのが、自分たちが知っている「全国区の」チームであるということになっている――少なくとも外部からはそう見える――ことです。
僕は彼らの活動趣旨を評価していますし、また彼らにどうこういう立場にはないのですが、「ディベート界の交流」を志向するのであれば、新規参入チームへの支援活動を企画したりするなど、既存の交流関係を打破する形での取り組みを強化すべきだと思います。

このように、現在の交流活動が「全てのディベーター」という視点で行われているかということは、常に意識していかなければならないと考えます。
特に、新規参入者がスムーズにディベートコミュニティに溶け込み、ともにディベートを楽しめるような環境を作ることは、喫緊の課題です。これを達成するためには、「健全な」地区意識によるサポート(東北地区のような)によるアプローチにプラスしての取り組みが求められていると思います。


以上、めちゃくちゃ長くなってしまいましたが、思うところを書きました。
日記でも同様のことを繰り返す部分があると思います。そのときにはもう少し整理して書ければと思っています。それでは。
 

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